◇【短期集中連載】能登半島地震 ~今、伝えておきたいこと~ 本鍛治千修 ③

崩壊した中山間地

 今回の能登半島地震は、多くの課題を与えてくれた。最も大きな課題は、超高齢化社会が進展している過疎地で発生したことである。同時に、この地域の主な産業は、農業や漁業等の第一次産業が中心であり、こうした産業を担っている人の多くは、例外なく超高齢化した人たちである。
 農林水産省は、過疎化・高齢化が進む中、耕作放棄地の拡大防止、水源の涵養、洪水の防止等、水田が持つ多面的機能を維持していくこと等を目的として平成12年(2000)「中山間地等直接支払制度」を導入し、令和5年度(2023)には約260億円を予算化した。一例であるが急傾斜地の田んぼで10a当たり2万1,000円を直接支払っており、現在、第5期目を迎えている。
 しかし、この地震により田畑は波打つように隆起したところや陥没したところがあり、畦畔には無数のひび割れが生じている。水田に水を引き込む用水路もズタズタに寸断している。
 長い冬も終わり、もうすぐ春を迎える時期が来ている。地震さえ無かったら、いつもこの時期はトラクターで代掻きが始まっている。とても今年の耕作には間に合いそうにもない。
 また、この制度を利用し、これまで田畑を耕作してきた人々の多くは、自宅や納屋等が全壊若しくは半壊した状態であり、トラクター等の農業用機械も倒壊した納屋等の瓦礫の下敷きとなり、ほとんど使える状況にない。
 このままでは、日本の原風景である棚田等の里山そのものが、崩壊の危機を迎えようとしている。

洲巻地区の崩壊した棚田

 この際、「非効率な零細農家を廃止し、農地を集積し、規模拡大を図った農家を育成すべきではないか」と言う人もいるが、果たしてそうだろうか。経済至上主義や効率論だけで零細な日本農業を切り捨てるようなことを論じてはならないと思う。
 地震の影響により耕作を放棄せざるを得ない者が多くいる中で、先日、買い物帰りの道路の沿線で代掻きをしている者を見かけた。ほっと胸を撫で下ろしている自分が居ることに気がついた。
 私が現地で得られた肌感覚だが、今年、復田できるのは概ね3割程度でしかないと思われる。
 日本農業の果たす多面的役割は、大規模農家だけでは維持できない。日本の原風景を誰が守ってきたのか。都市部に綺麗な水を供給してきたのは誰か。水田の持つ涵養力で洪水を防いできたのは誰か。里山の森林が管理されることにより得られる栄養豊かな水が、豊かな海を育て、その恩恵を受けているのは誰か。
 能登半島地震を機に里山の持つ多面的な機能こそ全人類の財産と考え、里山を守ることが国民的課題であると思う。

受動から能動へ

 震災発生から60日が経とうとしている。多くの問題を抱えながらも1.5次や2次避難もやがて終わろうとしている。とりわけ問題が多いと指摘した2次避難は、事前に避難の目的、到着地及び期間などは一切知らされないまま、闇雲にバスに乗せられ加賀方面の温泉地に向かった。到着直前になって「○○さんは、○○温泉の○○ホテルです」と告げられたという。被難者のわがままを封じ、混乱を避けたいという行政の意図は理解しないでもないが、事前に知らせておくべきであった。
 私の居る避難所からも何人かの被難者が2次避難所に向かった。迎えのバスが来る前に私から、「健康に気をつけて、自助の精神ですよ」の一言と、「次の避難所も一時的なもので、せいぜい2か月程度ですよ。いつまでも、3食・昼寝・温泉付きと思わないで、その間に自分の将来や身の振り方を考えて欲しい。その考える時間をもらえたと思いなさい」と伝えて送り出した。
 私の想定通り、行政からは、一部のホテルを除き、2次避難は、3月16日の北陸新幹線が福井・敦賀間で運行される日までと発表された。おそらく相当の人たちが、あわてふためいた事だろう。
 2次避難のもう一つの課題は、対象者を絞らなかったことにある。申し込んだ者がすべて2次避難者となり、温泉にあるホテルでの避難生活に魅力を感じ、吾も吾もの様相であった。その結果、被災地に残った者が少なくなり、地元での仕事の都合や体の不自由な者の介護等、どうしても2次避難できない者だけが残され、地域のコミュニティが完全に崩壊してしまった。
 その結果、4月から小学校に入学する1年生が一人になったという悲しい事例まで起きている。
 これでは、復興を目指して立ち上がろうとする気力まで失せてしまう。
 当面の住処となる仮設住宅は、建設は進んでいるものの、まだまだ、倒壊住宅に対し、絶対数が足りず、2次被難者が帰るまでには、到底間に合わない。
 一方、子供や親戚の家に身を寄せている被難者はというと、1か月も過ぎると避難先の家庭で多少のギクシャクもあり、段々居づらくなるらしく、電気も通電したこともあり、20名以上の被難者が被災した自宅の応急措置を施した自宅に帰り、自活を始めている。
 また、私のところへ「1次避難所へ戻りたい」と言われる方も何人か居たが、私は、「振り出しに戻るようなことは考えるな。なるべく自活の方向で考えて欲しい」と冷たいようだが回答した。それは、いつまでも共助や公助に頼るのではなく、「能動的に自助の力を発揮して欲しい」との願いからである。
 もちろん、身体的なハンディがあり、どうにもならない方には、引き続き、手厚いサポートをしていく方向に何の躊躇いもないことは言うまでもない。

行政の役割

 私も、30数年行政の末席を汚してきた者として、行政のあり方や対応等に常に関心を持っている一人である。
 当時、私の上司である高橋食糧庁長官が、ある時、私に行政の使命とは何かを教えてくれた。一つは、国民(市民)の生命と財産を守ること。二つには、富の再配分である。とのことであった。私は、このことを常に心して行政に携わってきた。
 大地震に被災した非常時にこそ、行政の使命が発揮される時はないと思う。しかし、避難所の現場から見ていると、色々な側面が見えてくる。
 行政も、一生懸命対応しているが、対応する課題も多く、手が回っていないことも事実だと思うし理解もする。
 お役人さんは、マニュアルどおりに動いており、それが現場の状況にあっていない面が多々見受けられる。
 こんな事例もあった。市役所から、避難所へ来られて、「お知らせの配布物を在宅避難者にも届けて欲しい」とのことであった。しかし配布物は14部しかなく、当時でも80名以上の在宅避難者がおり、全員には届けられない。
 早速、市役所に電話したところ、「部数がないのでHPを見て欲しい」との返事だった。これには、私もぶち切れ、声を荒立てた。「70や80歳を超えるお年寄りがパソコンを持っていると思うのか? それを操作できると思っているのか?」と言うと、次に「コピーをしてくれ」とのこと。私は返す言葉で、「コピー機を設置している避難所がどこにある? 早く必要部数を送れ」と言ったが、それっきり梨の礫となっている。
 これは、ほんの一例だが、お役人さんは、マニュアル通りの対応しかできていない証左だと思う。その原因を探ると、市の職員はリストラで職員の採用を抑制し、人員整理をしており、非常勤職員ばかりだとのことだった。
 行政は、常に国民(市民)の監視下にあり、普段は「暇そうにしている」「人が多いからだ」等と揶揄する人が多い。効率化を図ることは論を待たないが、非常時に機能不全に陥っては何にもならない。ある程度の職員を雇用しておくことは、非常時等のコストと考えるべきだ。
 私の経験談だが、平成5年(1993)7月、夜の10時過ぎであったと記憶している。奥尻島を大地震が襲った。当時、札幌の某所で先輩諸氏や同僚とカラオケを楽しんでいた。大きな揺れに襲われ、「これは大地震だ」と直感し、直ちに職場に帰り、防災用の支援食糧を手配し、夜明けを待って自衛隊まで支援物資を運ぶ段取りを付けた。
 今もそうだが、マニュアルでは、知事から自衛隊に出動要請があってから、自衛隊が具体的に動く事となっている。私は、そんなことは百も承知の上で、一刻も早く、食糧を現地に届けることを優先し、事前に諸準備を進めていたのである。
 また、深夜であったが米の卸に電話し、精米を可能な限り用意させ、朝までに千歳にある自衛隊基地まで運ばせ、翌日には奥尻島に届けさせた。これらの対応は、決してマニュアルには書かれていない。関係者の臨機応変な対応と理解があったからこそできたことである。蛇足だが、これらの対応が迅速だったとのことで農林水産大臣表彰をもらったことを記憶している。
 一方、平成7年(1995)1月の阪神淡路大震災の時、ある事務所の課長から電話があり「食糧支援の要請があったが、奥尻の時どうしたのか? マニュアルでは○○○○とあるが?」等というので、私から「まずは、カンパンを送る手配をし、次に米が欲しいというので精米を卸に用意させろ。事務手続きは後回しだ」と告げておいた。現場は、決してマニュアルどおりには動かないものと心得た方が良いと思う。

北陸電力の不思議

 私の住む集落には、大地震に被災して1か月半を経過しても電気が通じていない。再三再四、北陸電力の送配電部署に電話で要求しても一向に埒のあかない回答ばかりで一歩も前進しない。
 電力会社からの回答は、「上正力集落に通じる道路が破損し、工事車が入れないからだ」との回答である。しかし、確かに道路は大きく隆起し、電信柱が2本傾いてはいるが電線は1本も切れていない。電信柱が傾いた地域は、あちらこちらにあるが、どの地域も電気は通じている。ましてや左隣の集落や右隣の集落には、とっくに電気が通じており、真ん中にある私の集落だけ電気が通じていないのだ。
 私は、できない理由を聞いているのではない。どうしたら1日も早く電気を通すことができるかを尋ねているのだ。
 集落に通じる主要道路は、確かに崩壊されているが、左隣の集落に通じる道路は、十分に車の往来ができ、私も、その道路を利用して毎日、実家に通っているし、道路工事の4t車も集落に通っている。
 ましてや、左隣の集落からは、直線で150m程度電線を延長すれば、それで電気問題は簡単に解決するし、電信柱が立てられないなら、地面にパイプを走らせ、仮の電線を通せば済むことである。それもできないなら、発電車を1台入れればそれで済むことだ。
 一方、人が住んでいない複数の集落には、電気を通わせているから、なおさら北陸電力がどんな基準で優先度合いを考えているのか不思議でならない。
 私の集落は、北陸電力の送配電マップから完全に消されているのである。北陸電力は、電気事業法第18条の1に事業者に供給責任があると明記されていることを忘れているのではないか。
 見るに見かねた行政からも、北陸電力に要望は出しているし、珠洲市長が避難所に来られたときに私から市長に直訴した経緯もある。私からは、嫌がらせをしているとしか思えない。
 行政から、「行政の責任で個別に発電機を供給しても良い」とのありがたい回答を得ているが、問題は、北陸電力が住民に納得のいく説明をしてこなかったからだと思う。

に続く

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